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天神寺について

戒・定・慧を学び
日常生活を楽しむ
すべを知る

 当寺は、現住職 中屋光浩僧正(貫主)が仏縁あって、福井県福井市高木中央1丁目2506番地に創建した寺院です。宗派名は浄教宗といい、単立宗教法人として昭和60年9月19日に福井県より認証を受けました。その後、平成8年には、文部大臣所轄宗教法人の認証となりますが、現在は福井県認証の一つとしております。
 福井市の中では数少ない密教寺院で、修行や日常生活の中で得られる“気付き”を基本とし、「智慧」と「慈悲」、それを行おうとする「精進」を意味する「心の三原則」を強くすすめ、祈祷や供養を主としています。

(心の三原則)
 ・善悪を見きわめる(智慧)
 ・己の身体をいたわる(慈悲)
 ・己に打ち勝つ強い精神力(精進)

 山号を「遠光山」といい、全ての人が発する力(光)を大自然(仏)が受け、その力(光)をまた大自然(仏)が衆生に降り注ぐ。その力(光)を遠い光と考え、大きく降り注ぐ様を山としました。本尊は「黄光龍法身仏」といい、法身仏の名の通り、形をもたない法そのものを仏とし、当宗独自の仏の像をご本尊としています。
 その姿は孔雀明王に似た尊形をしていますが、オナガドリの冠を被り、“生命の誕生”と“長い尾”は、地軸のように中心となる真理を表しています。仏教の真理や法とは「今一度、原点に戻り考える」という当宗の“気付き”に当たる意味でもあります。
 他にも、金剛胎蔵五智如来像はじめ不動明王像、薬師如来像、地蔵菩薩像など多くの仏像も安置しております。どの仏からもいずれは同じ真理に行き着くとの普門大日の考えからです。ただなんとなく仏さまに逢い、好きな仏さまを見つけ、その仏さまが自分に何を教えようとしているのかを感じながら手を合わせるだけでも違った視点が見えてきます。お気軽にお参りいただき、ご自身の環境や信仰とともに好きな仏さまとご縁をお持ちになってください。

浄教宗について

 いろいろな宗教を知ることはいいことです。宗教の根源は、自分ではどうしようもないことにどのように向き合えばよいのか、上手く人と付き合うためにどうしたらよいのか、何を人生の杖としていくのか、そういった生きる上での信念追究にありました。ご自身の心が本当に必要とするときにそばにいてくれるのが信仰・宗教。宗教は親友のように最後まであなたと共にいてくれます。
 その中で仏教とは、昔のインドのシャカ族といわれる王族の1人ゴーダマシッダルダが、どれだけ贅沢や楽なことをしても不安・不満・苦しみが取れることがないため、さまざまな人に出会い修行を実践。それでもなお苦しみが取れず、自身で、自然の真理、苦しみのメカニズム、心のトレーニングの理解・実践を重ねてたどり着いた“生き方”の教えです。
 仏教とは日常生活をどう楽しく生きるか、これに尽きると思います。少しでも楽しく、背負う必要のないものは捨て、自分だけでなくほんの少し周りの方も幸せになるために、自分が経験したことを信念としていくことから楽しい日々が始まります。また多くの仏さまが存在し多様性を受け入れるのが仏教独特のいいところです。仏教は、いかなるものも否定せず受け入れ、その中に安らぎを探す。日々を楽しく過ごすカギは自分の中にたくさん存在していると考えます。

 そして、日常を生きる上で大切なことは人それぞれ。それが変化することもあります。もし何かに答えが出たとしても、それに捉われず何度も考え、常に物事を「あるがまま」に観じる事が重要です。「これは善だ」と信じ、先入観を持ちそれに依存してしまえば、それは悪となります。これは善が悪になるのではなく、意識・行動が悪になるのです。時代が変われば常識も変わります。しかしそこで変わらないことは優しさであったり、思いやりであったり、目に見えないものです。この“目に見えない変わらないこと”を大切に感じ取り、日常生活の中に溶かしこみ、日常生活こそが修行であると思うことが、より良い自分になっていく一歩になるのではと思います。
 修行というのは僧侶、在家だけでなく、老若男女誰でもできます。何を修行とするかはさまざま。命を持ち続ける限りはどんなことでも修行にできます。試行錯誤し、時には逃げたり諦めたりもしながら、精一杯楽しくなるよう一緒に仏教を学び経験させてもらいながら、人との縁を大切に、共に修行させていただきます。